7Key Technology 7つのキーテクノロジー

Key technology 03
生体恒常性破綻で生じる疾患の予測系開発

化学物質の健康への影響を可視化する評価系を開発

東京農工大学 農学部
共同獣医学科 獣医病理学研究室
渋谷 淳 教授

1983年東京農工大学農学部獣医学科卒業。1985年同大学院農学研究科獣医学修了。1989年東京医科歯科大学大学院医学研究科形態学系病理学修了(医学博士)。国立医薬品食品衛生研究所病理部を経て、2012年より現職。2016年からはグローバルイノベーション研究員も兼務。主な研究テーマは、発がん性および毒性評価系の開発、神経新生を指標とした脳発達リスク評価法の確立に関する研究、短期発がん予測分子指標の探索など。2020年「日本毒性学会学会賞」を受賞。

食品や環境中に含まれるさまざまな化学物質による健康への影響が懸念されていますが、リスク評価の手法については数々の問題が存在しています。
東京農工大学で獣医病理学を専門とする渋谷淳教授は、化学物質による発達神経毒性や発がん性を短期間の動物実験で予測可能な独自の評価系を開発。
疾病が発生する以前の疾病のシグネチャーを検出することで、病気の予防に寄与することを目標としています。

Key Words

  • 化学物質
  • 発達神経毒性
  • 発がん性
  • リスク評価
  • DNAメチル化
  • 発生予測
  • バイオマーカー
  • アミロイド
  • α-シヌクレイン

化学物質の発達神経毒性評価法を開発

1990年代、ゴミ焼却炉から排出されるダイオキシンが人々の健康にとって良くない影響を与えるとして、大きな問題となりました。
同様に、フロンによるオゾン層破壊、内分泌かく乱物質による健康被害など、化学物質による環境や人体への影響は現在も大きな社会課題として存在しています。

化学物質の人体への影響については、評価対象となる化学物質ごとに定められた評価系に基づいてスクリーニング試験などが行われています。
しかし、日々新たに生み出される化学物質の全てについて、疾患や対象別の細かなリスク評価ができているとはいえません。
検査対象によっては数年におよぶ時間と数億円規模のコストがかかり、評価系が確立していないことも多く、その影響を調べることは容易ではありません。

現在私たちが研究対象としている「発達神経毒性評価」は、胎児期から新生児期に曝露した化学物質が生まれた後の神経新生にどのような影響を及ぼすかを評価するものです。
脳の海馬にある「歯状回(しじょうかい)」は短期記憶や学習にとって重要な部位で、発達期に鉛やアルコール、臭素化難燃剤などの甲状腺かく乱物質などの毒性物質にさらされると機能異常をきたし、うつ病や注意欠陥多動性障害、統合失調症などの精神神経疾患の原因となることがわかっています。

しかし、現状では発達神経毒性に対するメカニズム解明に根ざした適切な評価モデルがないことから、私たちはラットやマウスを用いたリスク評価系を開発しました。
評価方法として普及させることを踏まえ28日間の反復投与試験という枠組みで実現できることも考慮しています。
そうして開発した方法では、母動物に妊娠の早い時期から産後の離乳期まで化学物質に曝露させて、生まれてきた子どもが離乳後から大人になるまでの間に海馬の神経新生に障害が生じているかを調べます。

この評価法で重要な点は、遺伝子発現プログラムの異常により起こるDNAメチル化に着目していることです。
妊娠期から授乳期にかけて曝露した神経毒性物質の影響は神経発達に関わる一連の遺伝子の発現カスケードの異常につながり、その影響が不可逆的に子どもに伝わる可能性を考えたのです。
そこで、離乳した時と大人になった時の児動物脳の海馬歯状回の神経新生の様々な指標解析を行うとともに、遺伝子発現やDNAメチル化解析を実施。
特に、発達期の塩化マンガン曝露例を用いた検索で、発達神経毒性評価に役立つ遺伝子探索を行った結果、脳の左右差を規定するMid1遺伝子がメチル化異常を起こして遺伝子発現の左右差が成熟後に至るまで消失し、不可逆影響のバイオマーカーとして有用である可能性を見いだしました。

(左)神経新生の結果新たに生まれた成熟ニューロンにおける最初期遺伝子FOSの発現(矢頭)。陽性細胞の増減を調べることにより、シナプス可塑性(神経情報の伝わりやすさ)に影響が見られるかを判断できる。
(右)神経新生部位でのGFAP陽性の神経幹細胞(矢頭)。神経新生の各段階の細胞の動態を調べることで、発達神経毒性の標的を明らかにできる。

発がん性予測法を開発するとともに標的分子を探索

発達神経毒性の評価系と同様に、簡便かつ短時間の予測系の実現が求められているのが発がん性です。
現状の発がん性試験はマウスやラットなどの齧歯類動物に生涯にわたって対象物質を投与して調べるため、その投与期間だけで約2年間。
さらに全身の臓器の病理標本を作製し、どのような種類の腫瘍がどの臓器にどれくらいの数できているかを調べ、腫瘍が良性か悪性かの判断をする、といった作業まで含めて1物質の発がん性を明らかにするのに3年以上もの時間を費やすことになります。
もちろん、それだけ時間がかかる試験ですからコストも膨大です。

私たちが発がん性評価に用いた方法は基本的には発達神経毒性評価と同じで、DNAメチル化に着目しています。
そして、発達神経毒性評価と同様に、28日間または90日間という短期間での反復投与試験の実現を目指しました。
具体的には、28日間または90日間にわたってラットに発がん物質を投与。
その後、解剖により採取した肝臓や腎臓などの組織サンプルを調べる病理組織学的解析と共に、遺伝子発現の異常やDNAメチル化を網羅的に検討するマイクロアレイ解析と得られたデータの検証解析を行います。
この手法を用いた網羅的解析において、標的臓器に対する発がん予測指標を見いだすことができました。

そのひとつが、ミトコンドリアの酸化的リン酸化にかかわりATP合成を助ける分子としても知られるTmem70という遺伝子です。
発がん物質の投与によって細胞ががん化する以前からTmem70が過メチル化して、Tmem70の発現が減少。
これにより発がんの標的細胞にミトコンドリアにおける酸化的リン酸化が低下するのとは反対に解糖系酵素が誘導され、代謝のシフトがおこります。
これはワールブルグ効果として知られる現象で、酸素を要求することなく解糖系からATPを産生することで、がん細胞が低酸素環境に適応できるようになります。

また、UBE2E2というユビキチン-プロテアソーム分解(ユビキチン化されたタンパク質を分解する仕組み)にかかわる分子についても、それをコードする遺伝子の過メチル化によって分子発現が低下すると、前がん細胞が選択的に増殖しDNA修復を遅延させることがわかりました。
こうした分子を標的として発がん物質投与から28日間という腫瘍形成する以前の段階で見いだせた意義は大きく、将来的に短時間での発がん予測につながる可能性があります。

(左上:HE染色)
ラットの肝臓に誘発された肝細胞の前がん病変の組織像。

(右下:免疫染色)
前がん病変はGST-Pという酵素を発現。TMEM70やUBE2E2はこれらの肝前がん病変で発現が著しく低下し、選択的に腫瘍化する環境を整えている

生物、病理のフィールドに工学という視点を取り込む

本コンソーシアムでは、前述した発達神経毒性評価や発がん性試験をさらに簡易的に、かつ高精度、高速に行うための基礎的な研究を行っています。
私たちがこれまでに行ってきたリスク評価系研究によれば、疾患として発症するかなり前から標的となる細胞は化学物質や発がん物質の影響を受けて特異的なシグネチャーを発していることがわかりました。
研究テーマとして掲げる「生体恒常性破綻で生じる疾患の予測系開発」では、さまざまな兆候をできるだけ早期に発見することで、病気の発症予防につなげたいと考えています。
DNAメチル化はそのための重要な指標のひとつであり、キーテクノロジー2の池袋一典教授とのコラボレーションによりDNAメチル化をより簡便に検出するモデルを作成しようとしています。

またキーテクノロジー3では、コヒーレントラマン顕微鏡を使って、アルツハイマー病のアミロイドやパーキンソン病のα-シヌクレインといった原因タンパクが凝集するプロセスを観察する研究も進行中です。
生体内を非侵襲に観察するにはいくつかの障壁を越えなければいけませんが、無標識で、生きたまま見ることを目標としています。

研究者としての目標は、さまざまな化学物質毒性試験の標準となり得る評価系を開発すること。
そのための標的分子の探索も重要な研究テーマです。
人体に影響する毒性物質は、世界中で毎日驚くほどたくさんの種類生み出されています。
従来のような評価系ではこれら全てのリスク評価をすることは不可能ですから、私たちが健康に生きていくためにも、簡易的かつ短期間でできる評価系の確立は急務だといえます。

私自身は獣医病理学を専門としていますが、動物ではなく主にヒトの疾患を対象とした病理を研究できるのは東京農工大学という環境にいることの強みでもあります。
しかも、本コンソーシアム内には比較的近い研究分野の研究者もいれば、コヒーレントラマン顕微鏡のように工学、物理学の視点でかかわることのできる研究者もいる。
そういったコラボレーションを最大限活かしつつ、自分が専門とする研究分野のさらなるブラッシュアップを目指していきたいと考えています。

Connection with members
今行っている研究をさらに幅広く応用展開することも
現時点でコンソーシアム内には共同研究を実施している企業はありませんが、特定の遺伝子のDNAメチル化を可視化する技術には大いに興味を抱いています。
また、現在の研究とは逆に発達期の脳に良い影響を与える物質について調べるなど、今行っている研究を横展開することも可能なのではないかと期待しています。
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