7Key Technology 7つのキーテクノロジー

Key technology 05
感染症・疾病の未来予測と未然対策

感染症を予測し、先手を打つ「疫学の未来形」

東京農工大学 大学院農学研究院
生物制御科学部門
有江 力 教授

1984年東京大学農学部農業生物学科卒業。1989年同大学大学院農学系研究科修了(農学博士)。その後、理化学研究所研究員を経て、2000年より東京農工大学農学部勤務。2010年より現職。グローバルイノベーション研究院イノベーション推進機構長、またグローバル教育院長を務めたほか、2019年からは東京農工大学副学長/教育担当理事も務める。2020年度日本植物病理学会代表理事。

従来の感染症対策は「起きてから最善を尽くして対処する」という方法が基本でした。
一方、このキーテクノロジーでは、解析技術を駆使することで、「これから起きそうな感染症を予測し、先手で対策を打つ」という、まったく新しい戦略をとっています。
「未来疫学®」の実現に向け、研究を多面的に進めています。

Key Words

  • 農作物
  • 感染症
  • 疫学
  • エンドウ萎凋病菌
  • イネいもち病菌
  • 農薬
  • サリチル酸

過去を見る疫学から、未来を見通す疫学へ

田んぼや畑は、みどりの植物が多くあるため、自然の世界を想起させるものかもしれません。
しかし、田畑は、収量を増やすため、植物を自然界にないほどの「密」状態にし、大量の肥料もあたえて育てています。
農業とは人工的な営みといえます。

そのような農作物が感染症に襲われると、一斉に枯れてしまうなどして収量が激減してしまいます。
自然のしくみでこうした問題を解決することには無理があるので、科学の力によって解決していくしかありません。

植物も動物も含め、感染症の流行の系統や状態などを研究・調査し、対策を求める学問は「疫学」とよばれます。
これまで、疫学といえば、過去から現在にかけての感染症の流行を解析するものでした。
その一方で、近年は、病原体の遺伝子の変異が生じた変異株を意図的につくってみて、それをゲノムレベルで解析するといったことができる時代です。
こうした技術発展により、「将来どのような感染症が起きるか」といったことを予測できるようにもなってきています。

そこで私たちは、未来に出現する感染症を予測し、これまで後手対応でしかなかった感染症対策を先回りするための学問を「未来疫学®」とよび、これを「命をつなぐ技術コンソーシアム」でも実現しようとしています。
キーテクノロジー5の「感染症・疾病の未来予測と未然対策」という呼称には、こうした新しいコンセプトの本質的な意味を込めています。
現在の「未来疫学®」は、キーテクノロジー5の研究メンバーでもある、感染症未来疫学研究センター長の水谷哲也教授が研究している動物ウイルス感染症を主対象としていますが、植物ウイルスなどにも共通するしくみは多いため、今後、植物感染症も対象に入れていくことを構想しています。

コンソーシアムでは、各キーテクノロジーを、光科学の技術と融合させることで、革新的な早期診断や予防技術につなげることが目指されています。
その点、私たちの研究では、DNAを蛍光染色してゲノム解析したり、タンパク質を蛍光色素で光らせて遺伝子発現のようすを観察したりします。
また、病原体の挙動のとりかたも、病原体と非病原体を別々の蛍光色素で光らせて観察します。
光科学の技術は、常に私たちの研究の礎になっています。

同じトマトでも自然生態系と耕地生態系では大きく異なる
左:野生種トマト(チリ)、右:栽培トマト(日本)

病原菌のメカニズムを解く、農作物の抵抗性を生かす

私が研究対象としている植物の感染症をめぐる、コンソーシアム関連の成果を紹介します。
成果の一つ一つは、植物の「未来疫学®」につながる知見になるものです。

外国からの侵入を警戒している病原菌のひとつに、「エンドウ萎凋病菌」(Fusarium oxysporum f. sp. pisi)があります。
土壌からこの菌がエンドウに感染すると、エンドウは枯れてしまいます。

エンドウ萎凋病菌の仲間には、エンドウ萎凋病でなく、サツマイモの病気を起こす菌などもあります。
こうした菌の宿主特異性はどのように生じるのか。
これをゲノム解析により見出そうとしています。
エンドウ萎凋病については、菌がもつSIX6とSIX13、またPDA1という遺伝子を調べれば、その菌がエンドウ萎凋病をもたらすものかどうかを判別することができます。
この特異検出の技術は、和歌山県で実際に発生したエンドウ萎凋病の封じ込めにも利用されるなどしています。

植物の感染症対策の研究ではほかに、薬剤耐性菌の出現メカニズム解明にも挑んでいます。
イネの重大な病害をもたらす「イネいもち病菌」(Pyricularia oryzae)に対し、「F剤」という殺菌剤が使用されていますが、繰り返し使用していると耐性をもった菌が増え、殺菌剤が効かなくなってしまいます。
私たちは、イネに意図的に耐性の変異を誘導し、「F剤」に対して耐性をもつ菌を誘導することを試みています。
これにより、どのように耐性菌が現れるかを解明し、薬剤耐性菌の課題解決の一助にしようとしています。
また、「サツマイモつる割病菌」(F. oxysporum f. sp. batatas)の殺菌剤に対する薬剤耐性の研究も並行しておこなっています。

ここまでは菌に目を向けた研究を紹介しましたが、一方で、農作物自体に目を向け、病原菌に対する抵抗性を生かすための研究も進めています。
弱毒化した病原微生物を体内に入れて抗体をつくるワクチン療法と似ていますが、病原菌の仲間でありながら病原性のない菌を植物に接種することで、植物に抵抗性をもたせる方法があります。
この方法の技術的課題は、土壌中にその菌を含む液体を長期にわたり安定供給する技術を確立することです。
そこで私たちは、多孔質のチューブとポンプを企業と開発し、都内のトマト農場で実証試験をしているところです。
この特殊チューブなどで処理を施したトマトのほうが収量が高くなるというデータが得られています。
また、別の企業との共同研究では、菌を含ませた吸水性ビーズを土壌に定着させることで、菌を供給する方法も検討しています。

エンドウ萎凋病菌によりエンドウ萎凋病にかかってしまったエンドウ豆

「未来疫学」に向けたコヒーレントラマン顕微鏡の可能性

コンソーシアム全体の中心的技術であるコヒーレントラマン顕微鏡の活用し、成果を上げることにも取り組んでいます。

家に泥棒が入るとセンサが働き、電気信号が警備会社に送られ、警備員が駆けつけるシステムがありますね。
これと似ていますが、植物は外部からストレス性の刺激を受けると化学物質の信号を増やし、全身の抵抗性を高めるシステムをもっています。
この信号のひとつに、「サリチル酸」という天然化合物があります。
農業では、サリチル酸の量を増やして農作物の抵抗性を高める効果があるとして、「V剤」という薬剤がこれまでも使われてきました。
しかし、サリチル酸がどのように植物の全身まで移行していくかは未解明のままです。

この課題に対し、コンソーシアムでは、局所的な分子の動態を観察できるコヒーレントラマン顕微鏡を用いて、植物個体内のサリチル酸の伝わり方を観察しようとしています。
現在はまだ、植物が貯めるサリチル酸の量と、顕微鏡の検出限界とが合わないため観察成功には至っていませんが、顕微鏡性能の向上などにより観察が可能になることを期待して取り組んでいるところです。
コヒーレントラマン顕微鏡を活用した研究ではほかに、水谷教授が動物ウイルス研究の一環で、非破壊的にウイルス感染細胞を検出する方法を確立しています。

私たちのキーテクノロジー5のキーワード「感染症」には、動植物に共通のしくみが多くあります。
植物の研究で得られた成果から動物感染症の理解を深めることもあれば、その逆もあります。
獣医系と植物系の双方の研究メンバーにより、未来の感染症対策の基盤を築いていこうとしています。

左3ポット:萎凋病発病トマト
右3ポット:左と同じトマトに「V剤」を噴霧処理したもの

Connection with members
「お酒の未来形」につながる共同研究も
多くの研究は企業との共同によるものです。
感染症防御に向けた研究もさることながら、酒類関連の技術開発に向けた共同研究もしています。
カビの一種、オオムギ付随菌が麦芽の製麦にもたらす影響を解析し、製麦精度を高めようとしています。
付加価値のある新しいタイプのビールの誕生につながればと期待しています。
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