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KT42023.03.30

【OPERA 研究者インタビュー】“世のため人のため”からつながる研究のロングウォーク

OPERAに関わってくださる教員の中から、
グローバルイノベーション研究院 農学府 教授として活躍する
永岡 謙太郎 先生にお話を伺いました。

 

 

― 農工大に来られるまでの経歴を教えてください。

1993年に農工大獣医学科に入学し、6年学びました。その後東京大学で博士課程に進学し学位を取りました。当時は博士1万人計画の真っただ中、博士が終わった後、周りはみなアメリカへ渡っていくんです。でも自分は人と同じ選択をすることがよいとは思いませんでした。それまでは企業に行くことは考えていなかったものの基礎研究に力を入れている企業があることがわかり、そちらに入社することにしました。
その会社を1年経験後、東京大学の助教に採用されました。日本学術振興会の海外特別研究員が取れたこともあり、東大での7年間のうち2年間マサチューセッツ大学に留学することにしました。留学先の指導教員はPubMed*で自分で探し、話せば長くなるのですが自分なりの基準で決めました。人とはちょっと違う道を歩んだと思っています。

   *PubMed(パブメド)・・・米国国立医学図書館(NLM)が作成する、世界約70カ国、約5,000誌以上の文献を検索できる医学・生物学文献データベース。

 

― 子供の頃になりたかった職業はありましたか。

多くの方は幼いころから職業に通じる何かきっかけがあり、その職業に就くべくしてそうなる方もいらっしゃるのかもしれません。でも本当のことを言うと、私にはなりたい職業はありませんでした。子どものころも特に本当にやりたいこともなくて。ただ、小さいころからただ一つ強烈に心にあったのは、世のため人のためということ。それは親によく言われていて、とにかく誰かのためになるようなことはしたいなって、ずっと思ってました。多分それを考えると大きすぎて、具体的な職業として自分はこれをやりたいっていうのが言えなかったのか、見つからなかったんですね・・・。多分言えなかったのかなと思います。
読書は好きで、特に伝記や歴史小説などを読んでいて、世のため人のためになる人間になりたいというそのイメージは継続して持ち続けてきたのかもしれません。高校では理系だったし、高校の後は理系の大学に行くのかなと思っていました。でも受験のときもあんまりぴんと来なかった。大学受験では工学部を志望していた時もありましたが、それも特に理由はないんです。なんとなく日本はやっぱりものづくりだし、工学のほうへ進めばなんか人の役に立つのかなという感じでした。

 

 そんな先生がどうして獣医学科を卒業され、その道の研究者に。

大学受験を控えていた頃、妹が『動物のお医者さん』っていう漫画を読んでいて、あれを見たときになんかいいな、獣医もいいなと思って印象が残ったということがありました。進学が決まった頃、  獣医というものに対してあまりいいイメージをもっていない人もいるのではと感じる出来事がありました。このことで自分自身がその偏見をどうにかしたいと考えるようになりました。
研究者に関しては、学部学生で研究室配属されて研究していく中、自分とそんなに歳も変わらないような人たちがこういう研究をやっていて、どういうことをやっているのか、それぞれみんなが話しているのを聞いて、なんかいいなって思ったんです。その研究テーマがいいとかじゃなくて、そういう人たちの集団、人それぞれが自立して自分のモチベーションを持って自分に自信を持ってやっていると。それを束ねている一つの単位として研究室っていうのがあって、その上に主宰する先生がいるっていうのを聞いて、それが大学の先生。大学の先生っていうのは教育だけなのかと思ったら研究者でもあって。
研究者って、イメージとしては、もう本当に自分の好きなことがあって、そういう人以外は研究者になっちゃいけないんじゃないかとずっと思っていました。本当はそういう人たちがなるべきものなんでしょうけど、仕事としてなんかいいな、大学の研究室というこの雰囲気に憧れを持ちました。世の中のためになることをしたいけれど、それは何なんだろうというのはずっと探していて、将来は大学の先生になりたいと思ったのは大学院に行った瞬間かなと思います。
これまでに出会った指導者にも恵まれていて、学部、大学院、留学先でもいろんなところに行かせてもらったり、尊重してやらせていただきました。仮説を立てて実験して証明して、それを論文に出して満足して、仲間と研究室の外でもコミュニケーションを深めて、また実験するという繰り返しで生きていける、色々としんどい時も多いけど、なんていい職業なんだろうと思います。

 

― 現在の研究テーマについて教えてください。

今自分の中では哺乳類の乳腺を研究テーマにしています。哺乳類が哺乳類たるゆえんである泌乳という行為があるんですけど、乳腺があって、それを使って子どもを育てて哺乳類というのは発達し、発展してきているわけです。その乳腺の機能ってただ単にミルクをつくってあげるだけではないものがたくさんある。特に子どもの免疫や脳発達において、乳児期って非常に重要な時期です。その時期に、将来のパフォーマンスや病気に対する抵抗性がある程度決まると思っています。やっぱりいい栄養、いい環境で育てば、その子どもたちのパフォーマンスは高い、でも、その要求されるパフォーマンスやメカニズムは動物毎で異なるので、そこは獣医学の強みで人も含め色々な動物を対象に研究しています。
生物の基本は次世代を育むこと。我々を取り巻く社会や環境は時代とともに色々と変化していますが、そのことはしっかり守っていくべきだと思っています。自分の研究が人を含めた全ての動物の役に立つものでありたい。そして、獣医学分野から世界に発信続けて、獣医学だって人の医学に貢献してるんだぞってことをもっと社会的にアピールしたいです。

 

- これまでのキャリア形成で困ったことはありましたか。

自分のキャリア形成で後悔や困ったことはありません。過去、様々な選択があったと思うのですが、決めた自分の選択について、後ろを振り返らない、後悔はしないっていうのはずっと決めています。なので、キャリア形成で困ったことと聞かれても、良く分からないです。現在の細かい不満や悩みはありますよ。でも、それも私のこれからのキャリアの一部になるものですし、前を向いてクリアしていきます。私のキャリアの源泉は、「人と違うことをする」「人の役に立ちたいと思う」「後ろは振り向かない」だと思います。

 

ー オンとオフ、先生はどう切り替えていますか。

切り替えている感覚が自分にはありません。大学に来る時間、仕事を終え帰宅する時間はずっと同じでここ数年変わらない。昔は夜通し研究をしていることもありましたが、アメリカ留学をしていた頃から規則正しくなってきました。今は家族もあり余計にそうです。
子ども一緒に過ごすこと、僕の趣味は育児ですかね。農工大に赴任してからの育児で料理の腕は上がったと思いますよ。ご飯も作りますし、子供の弁当も週に3回作っています。
昔から好きな読書もしますが、最近はジョギングも始めました。

 

― 農工大を卒業した先生が感じる農工大の魅力って何ですか?

農工大の魅力は、やはり東京にあるっていうことは間違いないですよね。あと研究を標榜してるところです。ここは農工大の強み。今、研究するのは大変ですけど、そこができているというのは農工大の良いところだと思います。ただ昨今、教育研究に関する様々なコンプライアンス対応が求められていて、2学部単科大学の宿命なのですが教員数と事務員数が圧倒的に足りなく、旧帝大などの総合大学との体力勝負が大変です。歯を食いしばってでも研究大学なんだというのは維持してくべきだと思います。
 
― これからの夢は。

10年かかった研究室のセットアップがだいぶ済んできたので、研究テーマについてもっと掘り進めていきたいです。まだ、世の中のためになるものを出したって実感が無いので、そこをしっかりとやりたいと思います。今こうして自分の研究室が順調に動かせていて、しんどい時もありますが、歩みを止めずに研究という道を歩き続けるのだろうと思っています。

 

 

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OPERA事務局より
ご自身のことや研究生活への想いを沢山お話してくださった永岡先生。
読書好きの先生らしく、自身の研究生活をスティーブンキングの小説『死のロングウォーク』のようと話されていました。過酷な状況でも止まることの許されないその道を選び、世のため人のため、社会にも影響を与える研究を続けてこられていることを強く感じました。先生の研究で救われる人や生きるものの存在を思いながら、ずっと変わらずに歩き続けて行かれるのでしょう。

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