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INFORMATION2022.08.01

【OPERA研究者インタビュー】「出会い」をつなげて ~才能を紡ぎ、未来を織りあげる~

OPERAに関わってくださる教員の中から、若手研究者の方々をクローズアップ。
今回は、農学研究院准教授の岡田洋平先生にお話を伺いました。

 

農工大に来られるまでのことを教えてください。

私は元々農工大農学部の学生でした。2011年に学位を頂いた後はスタンフォード大学で博士研究員として働いていたのですが、2014年に農工大工学部の先生(助教)として採用して頂き、日本に帰ってきました。工学部で6年半に渡り教育研究に従事し、昨年度からは古巣の農学部でお世話になっています。

 

子供の頃になりたかった職業はありましたか。

私の場合、小学校の卒業文集に書いた将来の夢は「科学者」でしたので、実は夢が叶っているんです。今の職業は、正確には「科学者」ではなく「研究者」なのかもしれませんが。ただし、後でお話しするように、ずっと思い続けてきた子供の頃の夢を「叶えた」わけではなく、結果的に「叶っていた」というのが実際のところです。確かに小学生の時は理科が好きだったんですが、今考えると、理科というよりも理科の先生が好きだったのかもしれません。あとは、両親が文系だったため、「理科だったら親よりも詳しい」というちょっとした優越感もあったんだと思います。

高校に入る頃には科学者の夢などすっかり忘れ、文章を書くのが嫌いではなかったこともあり、将来は新聞記者にでもなろうかな、などと考えていた覚えがあります。私の高校では2年生から「理系コース」「文系コース」に分けられていたんですが、1年生の早い段階から希望調査が行われており、私は文系コースを希望していました。「文系コース希望」は、理系科目で試験の点数が悪いことに対する免罪符のようになっていましたね(笑)ただ、1年生も終盤に差し掛かった頃、ふと「勉強するなら理科や数学の方が楽しいのではないか」という思いが湧いてきました。科学者への憧れが蘇ったというわけではないんですが、このまま文系コースに進むとかつて好きだった理科ともお別れなのかと思ったら、妙に「本当にこれで良いのだろうか?」という気持ちになったんですね。その時に、小学校の時の理科の先生に手紙を書き、自分は理系と文系どちらが向いているのかを相談しました。今思えば、そんな相談を受けて先生も困ったでしょうね。私だったら「そんなこと知るか!自分で決めろ!」と言ってしまいそうですが(笑)、頂いたお返事には「岡田君ならどちらでもやっていけるから大丈夫だよ」と書かれていました。うーん、優しいし、巧いですよね(笑)全然理系を勧められたわけではないんですが、勝手に背中を押された気になり、翌日には担任の先生に「理系コースに変更したい」と伝えていました。この時点ですでに文系コースでクラス編成なども決まっていたようで、理系コースに変更するために「決意書」だったか「反省文」だったか忘れましたが、何度か作文を求められましたね。理系コースへの変更をお許し頂けるのであればそれはもう頑張りますという想いを書き連ねて最終的にどうにか認められたわけですが、2年生の序盤にはそんな決意は早くも崩れ去り・・・結局、ちゃんと勉強したのは3年生の夏からでした。理科は化学と生物を選択していたので、せっかくなら両方が活かせる学部がいいなと思い、高校生なりに両者を足して2で割ったら「薬学」か「農学」かな?と思ったところから農工大志望に繋がっていきます。実は、最初に「農工大」と言い出したのは母なんですけどね。

 

農工大に入学されてからはどんな学生生活でしたか?

晴れて農工大生になったものの、大学では、ある種の「希薄さ」を感じてしまいました。大学受験が「スタート」ではなく「ゴール」になってしまっていたんですね。入学時には何だか燃え尽きたような気分で、サークルやバイトに一生懸命な周りのメンバーに対して、どこか温度差というか、疎外感のようなものがありました。1年生の時はいわゆる一般教養科目も多く、講義にもあまり熱心になれず・・・何のために大学に入ったんだろう?などと考えて、大学から足が遠のいてしまう時期もありました。おそらく出席が足りない講義ばかりだったと思うんですが、試験だけは一応全て受けたんですよね。そうしたら、奇跡的に単位は全て取れていたんです。この時、勝手に「ああ、神様はまだ私を見捨てなかったんだ!」と思い、心を入れ換えて、後期は無遅刻無欠席無睡眠(だったはずです)で全ての講義に出ました。まあ、徐々にサークルやバイトに一生懸命になり、気が付けば普通の(?)大学生になっていましたね。

大きな転機は4年生の時にやってきました。配属された研究室での毎日は、いろいろな意味でカルチャーショックの連続でした。「研究」って、最先端かつ崇高な活動だと思っていたんですよね。実際の毎日はもっと泥臭い、トライ&エラーの積み重ねです。また、今もよく学生に話すんですが、実は3年生までの成績って全て自分自身で決めているんですね。試験で「自分が」80点の答案を出したから80点という評価になるわけですし、勉強は裏切らないんです。勉強すればするほど点数が落ちていくということは普通ないですよね。「自分が」コツコツ勉強をすれば点数は上がりますし、頑張ったら頑張っただけ、多くの場合成績は良くなります。ところが研究、いや、当時の私が取り組んでいたのは「研究」と呼べるような代物ではなく「実験」に過ぎなかったんですが、研究って努力が平気で裏切るんです。頑張って自分なりに90点の答案を出したつもりにも関わらず、先生や先輩から平気で5点という評価が下されたりするんです(笑)一生懸命やったつもりなのに努力が全く報われない、なんて理不尽な世界なんだ!と思いました。ところが、よく考えてみると「やったらやっただけ進む」「努力が必ず報われる」ことの方がレアで、世の中の仕事の多くがこの限りではないですよね。試合では全くヒットが打てないのに、素振りの回数だけはすごい!なんて評価されるプロ野球選手はいません。ただ、当時の私にはこの価値観が受け入れられず、4年生の秋頃にはすっかり研究室から足が遠のいてしまい、ついには「卒論は書かない、このまま大学を辞める」と両親に宣言していたぐらいです。

そのような時、母から「辞めたきゃ辞めていいけど、アンタ科学者になりたかったんじゃないの?私にはよくわかんないけど、研究室で実験してるって科学者なんじゃないの?小学校の時の夢が叶うなんてそうそうあることじゃないんだし、もうちょっとやってみてもいいんじゃないの?」と言われ・・・、確かにそれもそうだなと思いました。卒業論文研究をかじった程度の4年生が「科学者」のわけがないんですが、せめて修士課程までは進学して、最後にもう少しだけ子供の頃の夢だった科学者体験をしてみようかな、と思い直したんです。

 

-大学院進学後はいかがでしたか?

そのようなわけで、科学者の夢を追い掛けたわけではなく、むしろ科学者の夢を終わらせるための思い出作りのような気持ちで修士課程に進学しましたので、博士課程への進学はおろか研究職に就くことさえあまり考えていませんでした。「修士課程までで研究(もどき)を終わりにして、研究経験(的なもの)を活かして投資銀行やコンサルティングファームに行けたらかっこいいな」などと考えて就職活動をしていましたね。ただ、どこの会社だったか忘れてしまいましたが、面接官から「岡田さんは修士課程ということですが、研究や技術がわかるんですか?」というようなことを聞かれたんですね。・・・なるほど、わからないな、と(笑)ろくに研究をやったわけでもないのに「研究経験を活かして」と言われても、説得力がないんですよね。変な言い方ですが、研究を辞めるためには、まずは「研究をやった」と言えるだけの経験がなければダメなんだ、と思いました。また、就職活動を通して、自分の「売り」のなさも痛感しました。どんなに些細なことでも構わないから、これだけは誰にも負けないというものがあれば全然違うんじゃないか?そんなことを考えていました。今考えるとまだまだ十分に若いんですが、当時の私は「23~24歳から始めても間に合うもの、誰にも負けないもの、もし可能性があるとするならば、それって目の前の研究なんじゃないか?」と思ったんです。博士の学位が取れれば、それは「研究をやった」「研究経験がある」「少なくとも博士論文研究に関しては誰にも負けない」と言えるはずだと思い、意を決して指導教員の先生に相談してみました。当時の私にとっては進路の問題以前に、まずは先生に一対一の相談を持ち掛けることが相当な決意を要するものだったんですね。ところが、覚悟を決めて「就職と進学、私にはどちらがいいかわかりません、どうすればいいと思いますか?」と聞いた私に対する先生の答えは「僕もわからない」でした。「どちらが良かったかなどということは、もっとずっと後になってからわかることなんじゃないかな」と言われ、ものすごく気持ちが軽くなったことを覚えています。ああそんなものなんだな、そんなに深刻にならなくてもいいんだな、と思い博士課程への進学を決めました。博士の学位が取れたら晴れて研究を辞めて、今度こそ投資銀行やコンサルティングファームに行こうと思っていたんですが・・・気が付けば研究そのものが面白くなっており、もうちょっとやってみてもいいかな?と思うようになりました。まだもう少し、まだもう少しと思っているうちに、縁やタイミングに恵まれ、一周回って(?)本当に研究者になっていました。先ほど、「子供の頃の夢を『叶えた』わけではなく、結果的に『叶っていた』というのが実際のところです」とお話ししたのは、このような理由です。

こうして少しだけ年を取ってから振り返ってみると、若い頃に「人生における一大決断」だと思っていたことの多くが、実は大した話ではなかったんだな、と思わされます。これまで、出会った人々の何気ない一言で自分が決断できる瞬間が何度もあり、一つ一つの出会いにとても感謝しています。今度は、誰かが何かを決断する際に、ちょっとだけアドバイスできる立場になれればいいなあ、と思っています。

 

 

先生の研究について少し教えてください。

 専門は?と聞かれれば「有機化学」ということになるんですが、もう少し詳しく答えると、学位は「有機電気化学」で頂いています。化学の分野で「電気」と言われると、おそらくもっとも有名なものは「水の電気分解」なのではないかと思います。水に電気を流すと水素ガスと酸素ガスが出るという、皆さん昔一度は覚えさせられたやつですよね。あれは電気のエネルギーを用いて水の酸化還元反応を引き起こすプロセスなんですが、水を含まない油に電気を流せば、水以外の物質の酸化還元反応も引き起こすことができますよ、というのが有機電気化学です。サラダ油は電気を通しませんが、電気を通す油(のようなもの)もたくさんあるんですよ。

学位取得後は、「先見の明と強い意志で研究分野を変えた」・・・と言えるとかっこいいのですが、もちろんそんなはずはなく、あまり深く考えずに留学先や勤務先を決めていたため、結果として今では研究トピックスが拡がりつつあります。最近では、「有機合成を基盤とした電子移動化学・生体分子化学・界面コロイド化学の研究を推進しています」と書くのが気に入っているのですが・・・これでは何が何だかわからないですよね(笑)有機化学の技術をベースにして、電気や光のエネルギーを用いた反応の開発をやったり、従来の方法では作ることが難しかった新時代の薬となる物質を作ったり、「塩を油に溶かす」ことを目指した研究をやったりしています。自分自身が面白いと思えることはもちろんですが、何がすごいのか?何の役に立つのか?といったことを広くわかりやすく伝えられることも大事にしていきたいと思っています。・・・これがとっても難しいんですけどね。

難しいと言えば、有機化学って実験が難しいんです。職人芸的な部分があり、慣れないうちは、教科書に書いてある通りにやってもほとんど上手くいきません。専用の設備も必須ですので未経験者がゼロから始めるのはかなりハードルが高く、だからこそ学生時代に有機化学の研究室で経験を積んだということには一定の価値があると思っています。そうは言っても、将来的には「誰でもできる有機化学」「ロボットでもできる有機化学」を目指していく必要があるのではないかと考えて研究に取り組んでいます。「簡単にできる」「自動でできる」という発想も大事にしたいですね。・・・簡単になりすぎてしまうと、私の仕事がなくなってしまうかもしれませんが(笑)

 

 

農工大一筋の先生が思う、農工大の良いところや問題点はありますか。

 農学部と工学部、2つの学部しかないことがこの大学の強みだと思っています。一見すると全く違う学問分野だと思われるかもしれませんが、どちらも実学志向であり、大局的には価値観やビジョンが共有できます。学部を超えて何か共通の目標に向かうことができるとすれば、それは素晴らしいことですよね。農工大には基礎研究から応用研究まで幅広くサポートしてくれる土壌があるように感じられ、学生だけでなく、私自身にとってもバランスの良い学びになると思っています。

問題点があるとすれば、残念ながら知名度の低さでしょうか・・・。一体どれだけのコストがかかるのかわかりませんが、思い切ってゴールデンタイムに大学のテレビCMを打つぐらいのことができれば・・・あ、今はテレビよりもYouTubeなんですかね?学生として、そして教員として在籍している私からすると、農工大は両キャンパスともにロケーションが抜群です。農学部はちょっと駅から遠いんですが、都心からのアクセスも良いですし、それでいて、大学の近くで一人暮らしをしている学生も多いです。「徒歩圏内に住める東京の大学」というのは、ちょっとしたアピールポイントなんじゃないですかね?都心の大学だと・・・私もとても徒歩圏内には住めません(笑)「『住める東京』東京農工大学」、キャッチコピーとしてどうでしょう!?

 

忙しい毎日を過ごす中でのオンとオフ、どう切り替えていますか。趣味はありますか。

 難しい質問ですね・・・正直なところ、オンとオフの切り替えってあんまりありません。「ずっとオンです、四六時中研究のことを考えています」と言うと学者らしくてかっこいいんですが、そういうわけでもなく。緩やかなオン?みたいな感じですかね。もしかするとずっとオフなのかもしれません(笑)平日にサボることも、休日に仕事をすることも、どちらもあまり抵抗がありません。自由な働き方が許されることも、この職業の好きなところですね・・・講義はサボってませんよ!

趣味・・・なんだろう・・・学生時代は一生懸命スポーツジムで筋トレをしたり、けっこう真剣にバンドをやったりしていたんですが、どちらもすっかりご無沙汰です。今でも押入れの奥にギターは置いてあるはずですが・・・あるのかな?久しく実物は見ていません。論文を書くことは趣味と言ってもいいかもしれませんね。文章そのものは毎回悩みますが、図表を作るのは楽しいですよ。色合いとか配置とか、どうすれば綺麗でわかりやすくなるのか?ということを考えながら図表を作るのは楽しいです。日の目を見ない没ネタもたくさんあって、たまにパソコン内を探してみると、あれ?こんなのもあったっけ?と、自分なりにフレッシュな発見があります(笑)

 

 

ご自身がこれからOPERAを通じてやりたいこと、また、夢や目標などはありますか。

ここまでいろいろなことをお話ししてきましたが・・・やっぱりまずは「すごい論文」を出したいです!仕事柄、もちろんこれまでも論文を発表してきたわけですが、「岡田と言えばこれだ!」という名刺代わりになるような論文がまだ私にはありません。世紀の大発見でなくても構わないので・・・そりゃもちろん世紀の大発見が良いのですが(笑)、20年後30年後、あるいはもっと先に後世の研究者が振り返った時に、岡田ってのは〇〇を明らかにした人なんだな、△△を見出した人なんだな、というのが伝わるような成果を上げることが目標ですね。

OPERAを通じて、学部の枠を超えて様々な研究分野の若い先生方と知り合えたことは、非常に大きいです。共同研究や、広い意味での「連携」といっても、満足にしゃべったこともない先生が相手だとけっこう難しいんですよね。全ての仕事に共通すると思いますが、まずはお互いのキャラクターを知るということが重要だと思っています。

 

―長期的な目標はいかがですか。

 大学での教育研究を通して、1人でも多く「仕事を楽しめる人」を育成したいと思っています。SGDsが叫ばれる昨今、研究者にとって「地球のため」といった崇高な理念は当然大切じゃないですか。ですが、対象が大きすぎてリアリティーを感じなかったり、「地球のため」と言われても、正直モチベーションが続かないと思うんですよね。ですから、まずは「自分のため」に仕事を楽しむ。楽しいからこそ「もう少し頑張ろうかな」という気になりますし、それが結果的に自分以外の身近な人を少しだけ幸せにし、回りまわって地球にとってもちょっとだけいいことがある。小さいながらも、そんな正の連鎖に繋げていければと思っています。学生時代の私も、決して研究者になるために研究をやっていたわけではありませんでした。今の学生にも、ぜひ一生懸命研究をやってもらって、その経験を活かして、研究に限らず何でも仕事が楽しめる人材になって欲しいですね。

博士課程に進学したからといっても、みんながみんな研究者になる必要はないと思っています。そうは言っても、いつの日か自分の研究室から後輩の研究者が育ってくれることも楽しみにしています。今の時代にそぐわないかもしれませんが、良くも悪くも徒弟制って日本の文化ですよね。「おれは岡田の弟子だ」って言われたいじゃないですか!誰か言ってくれないかな。

 

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<OPERA事務局より>
アメリカ留学や異なる分野の研究へのチャレンジなど、岡田先生ご自身がOPERAの目指す若手研究者像の体現者であることがインタビューで明確になりました。そのご経験から、今年度よりOPERA内では人材育成部門長として、学生や若手研究者の育成についてリーダーシップを発揮していただいております。農工大一筋である岡田先生が持つ農工大愛とそのバイタリティーでOPERAをより成熟したコンソーシアムへと進化させていただけるものと期待しています。

次回は農学部共同獣医学科 村上智亮准教授のインタビューをお届けします。

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