【OPERA研究者インタビュー】熱意でつなぐ研究の道 ~二者択一ではない第3の選択を力に~
OPERAに関わってくださる教員の中から、若手研究者をクローズアップ。
今回は工学研究院で 助教として活躍する塚越かおり先生にお話を伺いました。
― 農工大に来られるまでの経歴を教えてください。
東京都内の出身です。
中学2年の担任が理科の先生で、学内での白衣姿をかっこいいと感じて、その頃から理科系の仕事に就きたいと考え始めていました。子供の頃から、当時流行っていたミニ四駆を作ったり、テレビでロボットコンテストの高専*チームを見たりするのがかなり好きでした。そのような感じで、ものを作りあげていくことが好きでしたので工学部で学位をとるという進路は自分に向いていたと思います。高校進学時は 高専か普通科の高校へ進むかで悩みましたが、色々な可能性がある方がよいと考え、都立高校の普通科へ進学しました。大学受験では第1志望の農工大生命工学科に合格でき、博士課程まで進学しました。そこで、研究者になりたいと考え、現在に至ります。
*高専…修業年限5年(商船学科のみ5年6か月)間の課程のもと、主に工学・技術・商船系の専門教育を施すことによって、実践的技術者を養成することを目的にした教育機関
学位のテーマは、認知症に関連するタンパク質に結合するDNAアプタマーで、診断に使えるバイオマーカーを測定するための研究をしていました。研究をすすめる中で、治療が大事であると同時に診断が大事だと強く思い、自分自身で診断に使えるようなバイオマーカーを捕えたいという想いが強くなりました。その中で、博士取得後に、理化学研究所脳科学総合研究センターにおられる西道隆臣先生の研究室の門をたたきました。西道先生は、アルツハイマー病になる前の前臨床状態を再現するモデルマウス開発の最先端の研究成果を発表されていました。
その動物を解析すればアルツハイマー病になる前の変化が起こっているはずという仮説をもっていたため、血液を解析するプロジェクトをやらせてもらいました。そこで研究テーマを思いきり変えました。
― 思い切ってテーマを変えるというのはすごい決断ですね。
実はきっかけになった学会参加がありました。若い学生さんや研究者向けの認知症の研究会をやりますという告知が科学雑誌に掲載されていました。その時はすでに参加締切は過ぎていたのですが、何度も参加希望の連絡をして、何とかその先生のお話を聞いたり、発表の機会を得ることができ、そこで交流が持てました。今振り返ると冷や汗ものですが、その学会の幹事をされていた先生もとても高名な先生で、その先生に何度も何度も参加希望のメールや電話連絡をしていたことを後から知りました。でも、その行動がなければ次のプロジェクトへチャレンジすることもなかったと思いますし、ましてや今の自分もないと思います。
その場で研究発表の機会を得ることもできたからこそ、そのご縁から研究予算を獲得するという成果も出せました(参照ページ)。
― その後なぜ理化学研究所から母校である農工大に戻られたのですか?
理化学研究所での研究は充実したものでしたが、2年過ぎた頃、新しい技術がないと新しい事を発見するのはなかなか難しいと感じてきていました。モデルマウスが最新のものであっても、これまでと同じ分析手法で本当に新しいものが見つけられるだろうかと。基礎的な新しいものを作ることの重要性を考えていた時、母校に公募があることを知りました。そこで、新しい技術であるモデルマウスの技術とアプタマー技術を組み合わせて新しい誰もわかっていないものを発見しよう、自分独自の分析技術でモデルを解析することによって世界で誰にもできない新しいものを発見しようという気持ちで農工大に戻ってきました。農工大で研究している間に、研究室で企業などの外部の人との共同研究のやり方として、積極的に外へ、人とつながっていいんだということを当たり前に見せていただいたことは、非常にありがたかったです。自分自身の積極的な性格もありますが、そういう研究代表者の先生方がいなければ積極的な研究設定もできなかったと思っています。
- 積極的にチャレンジされる先生ですが、これまでのキャリア形成で感じることはありますか。
個人的には特に困ったと感じることはありませんでした。研究に対しては、学生時代であればさまざまなインプットを行い、じっくり思い考えることができたと言えると思います。実は、修士課程を1年短縮修了したとき、その修士論文発表の出来があまりよくなかったと指導教員に言われたことがあり、その時なぜそういう印象を指導教官にもたれたのかと考えたんです。たどり着いた結論として、当時の自分は、書類を出して規程を満たせば修士号はもらえると思ってしまっていた。つまり、修士号のクオリティに達した人に与えられるという修士号授与の本質を理解していなかったということを痛感しました。それがきっかけでまず深く物事の本質について考えるようになりました。博士課程に進学したとき、微に入り細に入りブラッシュアップしていこうと、博士号を持つ人がどのようなレベルで仕事をしているのか、日頃の研究の態度やその姿勢を観察し色々考えて行動しました。その当時学生で時間が沢山あったからこういうことができたと思います。
自身が博士課程の3年間でよく思ったことは、‘人生2択を迫られることが多い’と言われるが、本当にそうだろうかということでした。
例えば参加したい学会Aと研究会Bが日程的に重複してしまったとき、普通は、2択をせまられたと思い、どちらかを諦めざるを得ないという考えになります。ただ、私は、例えばAはオンラインで参加して、Bはどうしても直接内容を聞きたいから対面参加できるように調整が必要なところはして、と手配することをまず考えます。つまり、AかBかではなくABどちらもとる、このために自分がどうするのがよいのかを考え、努力することが大事だということです。ですから、キャリア形成に関わらず、何か困ることがあった方にはこれを言いたいです。こういう考え方をすると、本当に必要だったのが何かを自分でもわかるようになると思うんです。私は今、学生の時と比べれば、学生も指導しながら研究を行い、家族も増えたりしているので、何か決断するにはじっくり時間をかけられないことも多くあります。時にすばやく決断した結果失敗してしまうこともありますが、その時には反省すべき点は反省し、間違ったと思うところはすぐに相手に謝るようにしています。でも、あまり自分を責めず、自分を大事にすることも大切です。
もう一つは、とにかく周りに相談するということです。自身の研究環境は研究のこともそうでないことも相談できる環境でした。幸運にも、私が博士学生だったとき、生命工学専攻には数人先輩の女性研究者の方がおられました。本当に困ったときに話を聞いていただけて助かることもありました。農工大は女性学生の比率も他の国立大学に比べて高めで、自身の在籍学科は特に女性の存在が特別なものではありませんでしたので、そういった意味では、とても恵まれた環境に居られていたと思います。
一方、現在困っているのは、やはり勉強時間が足りないということですかね。インプットに費やす時間が圧倒的に少ないという実感があります。英語も化学も勉強する時間を確保したいし、新しい趣味にもチャレンジしたいと思っています。例えば、学生時代にやっていたクラシックギターをまた始めたいですし、車の免許もとったままでペーパードライバー状態なので、運転も練習して、行動範囲を広げたりもしてみたいなと思っています。
― ご自身の夢や目標などはありますか。
研究での目標はアプタマーや新しい分析テクニックで、アミロイド分子の凝集過程でできる構造を解き明かすことです。アミロイドの凝集体は脳の中で分子同士が寄り集まって大きくなるプロセスはわかっているんですが、そのメカニズムがわからないので、それを解き明かすことをやっていきたいです。このために動物モデルを連れて理研から農工大に戻ってきたんです。
既存の分子・物資だとまだできていない、脳内で何がおこっているのかを解き明かしたいです。そして、それがわかることで病気を予防するということを当たり前なことにできたらと思います。細胞が死んでしまう前にその異常化を止めてあげたいです。
OPERAでは自分の研究で培ったDNA分子を扱う技術を使って、コア技術であるラマン顕微鏡にサンプルを供することができています。過去にそれが思うようにできなかったこともありましたが、今はアプタマー研究の中でアプタマー構造を同定した経験から、手技の部分でも上達したのかなと思っています。
― 忙しい毎日を過ごす中でのオンとオフ、どう切り替えていますか。
完全にオフに切り替えられているかというと、難しいですね。家でもメールを見てしまったりするので(苦笑)。そう考えると、自分が一番リラックスできるのは、仕事をしっかり終えた後、きれいなシーツを敷いた布団に横たわる瞬間ですかね(笑)。洗濯をすることがすごく好きなので準備も楽しみのひとつかも。清潔な空間で休んでいると解放された気分になり、とてもリラックスできます。
― 農工大出身の先生が感じる農工大の良い点と問題点は。
問題点は、考えたのですがすぐ浮かびませんね(笑)。強いて言えば、事務の方の人数がすごく少なくて大変そうな気がします。良い点として、農工大に長くいてわかるのは、どんどん新しいことにチャレンジしていることです。博士課程学生にどんどん海外へ留学に出てもらおうという制度ができて今も色々な形で継続していたり、OPERAの若手研究者交流会のような研究交流の場を積極的に学内に作ったり、学外へも広がっていこうとしているところが農工大の良いところだと思います。私自身も博士課程の時、こういう制度を利用して2か月ぐらいイギリスに行かせてもらいました。
また、女性教員が今よりもっと増えて、より女性研究者がいるのが当たり前の大学になると良いと思っています。自分の学生時代は、研究室や周りには女性の先輩方がポスドクや助教でいらしたりして頑張っておられました。そうやって自分の周りに女性の研究者がいてくださって、それが当たり前の環境でした。日常の環境にそれがあれば、女性の研究者がもっともっと増えると思います。
===OPERA事務局より======================================================
何事にも積極的にしっかり向き合われている塚越先生。その姿は将来研究者を目指す多くの方々に見ていただきたい前向きさにあふれていました。どちらか迷う時、両方どうとれるか考える、最善を追求しながらゴールにつなげる、あきらめない考え方を伺えました。
次回は、グローバルイノベーション研究院テニュアトラック推進機構 津川裕司准教授(テニュアトラック)のインタビューをお送りします。